創作という生存手段―舞台『球体の球体』に寄せて

※現在公演中の舞台作品について鑑賞後に読んでいただく程のゴリゴリのネタバレをしているので、各自自衛してください。また、あくまで一個人の解釈であるため、製作者の意向とは異なる場合があります。単なる主観つよつよ感想としてお楽しみください。

 

どうも、約2年ぶりの更新です。新原泰佑さんのオタクです。

前回のエントリから推しはあれよあれよと映像出演も舞台経験も増え、なんか気付いたらデビュー4年目にして読売演劇大賞男優賞候補のベスト5に選出されるまでに上り詰めてた。ちなみに候補として並んでいる他の方々はご覧の通りです。

 

何が起きている‥‥‥‥‥‥‥‥‥!?

とまあ、意思と才能がある人が努力を惜しまずにいるとこうなれるんだという希望をずっと見せ続けてくれています。すごいです。尊敬出来る姿を見せ続けてくれて、本当に本当に、幸せだなあ。

 

そんな新原くんが晴れて初主演を務める舞台『球体の球体』が、現在シアタートラムにて公演中です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

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www.umegei.com

 

"初主演"って肩書きだけでも浮かれちゃうのに、本作は新原くんへの当て書きとのこと。これはちゃんと感想を書きたいなと思いまして、明けてまだ数日+アフタートークも控えてるので思うことがあればぼちぼち追記していくスタイルで更新していこうと思います。

(※この記事は公演2日目に殴り書かれたのち筆者のやる気がなくなり約1週間放置されてからアップされています。アフトは25日にもあるよ!)

 

『球体の球体』あらすじ

 

現代アーティストの本島幸司(新原泰佑)は、2024年に遺伝と自然淘汰をコンセプトとしたアート作品『Sphere of Sphere』を創作する。その作品が話題となり、独裁国家の「央楼おうろう」に招待されることで本島には思いもよらぬ人生が待ち受けていた。そして35年の時を経た2059年、本島の告白から物語が始まる。(公式サイトより)

 

今回せっかくの書き下ろし作品かつ仕事が忙しすぎて私がパキっていたため、実は事前に公開されていたインタビューやあらすじを一切見ずに初日を観劇した。

知っていたのは、新原くんへのほぼ当て書きだということ、彼が演じるのは本島というアーティストだということ、脚本・演出・美術を手がけた池田亮さんの略歴、「親ガチャ・子ガチャ」を玩具のガチャガチャに見立てたコンセプトである、ということくらい。

 

なので上記のあらすじも設定も全く知らないまま初っ端見た時は、登場するや否や自分のことを「ホログラムです」と言い放つ35年後の主人公や、「脱毛した」くらいのテンションで会話されるパイプカット済み宣言や、寝不足でトチ狂ったキュレーターが会話の最中に突然エアでドリブルや銃乱射を始めたりカタコトの日本語で央楼国大統領が出会って15分くらいの主人公に大統領権限を転嫁しようとする世界線に困惑した。(私が悪い)

 

これについては35年後の本島を演じる相島さんご本人が19日のトークショー「(どう見たって)ホログラムじゃないでしょ!!!わかるじゃんねえ!?!?」と皆思ってたけど言わなかった暗黙の了解をご自身で堂々ぶち破り会場の爆笑を攫っていた。

 

ただ観客を『球体の球体』の突飛な世界に繋げてくれる役割を果たしているのは間違いなく前島さんの演技で、ああベテランってすごいな〜と心から体感する日々でした。未来から語られる過去やそれすらも過去になる構成やこの作品の特異な設定、本島と岡上との突飛な会話も、前島さんの悠々とした語りでスッと頭に入ってくる。見えない景色や語られない背景も、ちゃんとあるものとして目の前に現れるので凄かった。

 

今回、シアタートラムそのものを物語の舞台である美術館に見立て、入場の時点で既に物語に観客が参加しているという演出になっていますが、それも含め急にポンって物語の世界に放り込まれる感じは演劇的でとても良い。大道具や映像とか視覚的に補足するものがない分、そういう唐突さって演劇でしか味わえないですよね。新原くんの言うところの"演劇的嘘"がふんだんに散りばめられている。

最近たまたま小劇場の作品をいくつか見ていたのもあり、会場の使い方なりあの規模だから出来ることはガンガンやってほしいなと思ってたので、そういう意味でも意欲的な作品だなと思いました。

 

それでも優柔不断を通り越して言ってることが二転三転するグレイルや寝不足だとしても言動がめちゃくちゃで本人含め全員どう扱って良いのかわからなくなってる岡上はコメディとしては面白いんだけど、のっけからそんな感じで出てくるので人物が掴めねー!あとで説明してくれるけどテンションがわかんねー!と思ってたら本番前のゲネでも公演中のトークショーでもお二人とも「わかんない」って言ってた

 

www.youtube.com

めちゃくちゃ言葉を選んでる感じのお二人が味わい深すぎる&ここで前原さんが話している予想は残念ながら的中する

 

演者が本番中に自分の役のこと「わかんない」って言ってるの、多分初めて見た。

 

お二人もおっしゃっていますが、多分意味を探そうとすること自体が無意味だと思うので、この掴めなさを含めて日々楽しんで観劇しています。

 

 

演出について

演出を手がける池田亮さんは、今回ご自身が作った作品がカプセルトイとして販売され世界中に作品が広まった体験を元にこのストーリーを立ち上げたそう。

 

かわいい!

 

元々彫刻というマテリアル(素材)を相手にする芸術からキャリアをスタートさせたこともあるのか、演劇に関心を持つきっかけとなったのも舞台美術だそうです。下記インタビューで詳しくお話しされてるのですが、面白かった〜。人生何がどう転がるかわからないですね。

 

niewmedia.com

 

"こんな感情や出来事を起点に物語を作った"って話はかなり聞くしそれが普通くらいに思ってたけど、物が起点になってお話を考える人って私は初めて見たかも。

劇中、ポールパーテーションを陸上のハードルや血、心理的境界線などいろんなものに見立てて活用していてどれもユニークで面白い演出なんですけど、あれ以外にもどうやら使われなかったアイデアが五万とあるらしくビビりました。

なんとなく先に物起点のアイデアを沢山並べて、その後からお話を組み立てる気がする。

 

稽古の時点で池田さんの「創らずにはいられない」って情熱がひしひしと伝わってきて、本番で何が見れるのか(演者も)予想が付かなくてとてもワクワクしていました。「見たことのないものを作りたい」って意欲がとにかく凄い。

 

お話を作る人って、クライマックスやメッセージに向けてのひとつひとつ要素を積み上げて緻密に紡いでいくタイプ(自分の中では野木亜紀子さんとかまさしくこのタイプだと思う)と、いかに目の前のワンシーンを強い画に・面白くしていくのかを徹底するタイプと大きく2パターンの方がいるなと思っていて。

池田さんってすごく後者の方なんだなーと思います。もちろん一貫した作品のテーマはあるけど、もっと面白く!もっとコミカルに!が湧き出してくるから、その繋ぎ合わせで独特な後味が残る。それは計算では絶対に作れないものだと思うんです。見たことのないものって「見たことないものを作りたい」って意欲がないと生まれない。こないだ見た映画『ナミビアの砂漠』とかも、まさしく近いものを感じました。

 

作品全体を俯瞰して見たとき意図がわかりにくい演出も、そこだけで面白くなるようなものにするのって、結構難しいことだと思います。あるいは勇気がいることでもあると思う。

 

経済の用語に「創造的破壊」というものがありますが、演者の皆さんの話を聞いていると池田さんの演劇の作り方にはそれを感じます。効率の話ではなく、とにかく作る、やってみる、試す、違ったら壊して一からやり直しをひたすらひたすら繰り返す。こういうパッと思いついて実践してすぐ諦められる人、私も身近に思い浮かぶ人がいるんですが、スピード感尋常じゃないんですよね。思いつける速さも捨てれる速さも凄まじい。

文章書くときもいちいち色々を大事にしてしまう自分は、そういう人がものすごくかっこよく見えたりします。

 

「いかなる創造的活動も最初は破壊的活動である」新原くんが影響を受けているピカソも、実は同じようなことを言っています。新しくものが生まれるときに、そこには既存の概念の破壊がある。

今回ラストシーンの演出に何度か変更があり、最後には前楽に作品全体の印象を左右する一言が足されたりと、公演期間中に観客という立場からも何度か"創造的破壊"なる場面に遭遇したりもしました。同じクオリティのものを最後まで届けるのもプロだけど、最後までチューニングをやめずにベストを諦めない姿勢も、また別のプロだなと思いました。ただ稽古はめっちゃ大変そうだった。

 

 

何が為の創作なのか

新原くん演じる現代アーティスト・本島幸司は生殖機能と倫理性を問う作品を発表し続ける背景に、本島が托卵児であった事実を知ると社会的な体裁を守りながら心の距離を取り、その後知らぬ間に離婚・死亡していた父のこと、母の再婚が原因で奨学金を断られ美大進学への道を断たれたこと*1などがある。

 

アーティストとしての最初の作品*2は、ラブホのバイトで回収した使用済みのコンドームを父との心の距離を感じたキーアイテムとなる食パンの袋に見立て、家から93メートル先にある父親が移り住んだアパートまでの道に並べたインスタレーション作品*3「朝食」。

次いで会場に大きく聳え立つ、子供を望まない人や亡くなった方の精子卵子をカプセルに格納したガチャガチャ「球体の球体*4」を発表する。

 

「朝食」は日本で"とてつもなく炎上"するが、結局これがキュレーターである岡上との出会いに繋がり、なんやかんや央楼国での作品展示の機会を得て「球体の球体」が制作される。

多分「気持ち悪い」とか「不愉快」「公序良俗に反する」とかそういう文脈での炎上だと思う。作品だけ見たら私も特殊な性癖の人がいるんだな〜人間色々だな〜という気持ちにはなると思います、"わからないものは怖い"ですからね。

ただ「何故これを作ろうとしたのか」って強烈な興味は湧きそうな気がするんです。ちゃんと紐解いた先には本島の人生があって、作品は社会の矛盾への彼なりの訴えであることがわかる。

 

そもそも創作って、本来ごく個人的なものだと思うんです。もっと言えば、自身の要素を少しでも入れないとオリジナリティは生まれないと思います。(辛いことがなければ創作は出来ないとは一切思っていません)

現にこの戯曲も、池田さん自身が体験したガチャガチャを通して作品が拡がっていく体験を元に描かれていますよね。この記事も同様に、私がどんな状態でこの作品を観劇して、それでいて何を考えたかが入っていなければ、それは書き手の個性を必要としないレポートとほぼ変わりません。

本島にとってそれは、使い捨てられるように排出された精子や社会での体裁だけは都合よく守ろうとする父親、子供の気持ちや将来を重んじれない母親、そしてそれによって生まれた自分自身について。

ともすれば突拍子もない・気持ちの悪い創作だとはあまり思えないんですよね。正気にすら思う。新原くんは本島のことを「意外と常識人」って話していたけど私もそれに近いものを感じます。動機がハッキリしていて、筋が通ってるので。

むしろ淡々と出自を語る本島の言葉の節々には自虐めいたニュアンスが見て取れて、それが結構切実で破滅的なものに思えて、ちょっと心配になる。

 

新原くんが大事にしているピカソ「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」って言葉があるけど、本島にとっての芸術って、武器っていうより何とか今世を生きてくための手段だと思うんですよ。池田さんみたく「表現欲が止まらない人」というより、今出来る表現方法で自分の人生を昇華させないと、この人は生きていくのが難しいのかもしれないとも思った。

 

その延長としてひとつ疑問なのが、本島って大統領になってからものづくりって本当にやってたのかな

踊る暇もないくらいの忙しさとか物理的な話ではなく、「何か作りたい」って気持ちって「球体の球体」以降、残ってるのかなと思って。

 

「朝食」で社会に見つけてもらって、「球体の球体」で思いもよらぬ場所に居場所が出来て、自分を体現した作品で世の中をより良くする(と思ってる)仕組みを作って、それが思いの外多くの人に賛同されて、そこまで達成できた本島がこれ以上作品を作るモチベーションって、もうなくないですか?

35年後の本島は自分という作品を社会に見せつける必要なほど追い詰められてもいなければ、自分が作った新しい社会の仕組みを悠々と「自国のよい取り組み」として来場者に解説している。でも球体の中身が自身では何も選べないということは変わらない。変えられない。それが結局別の呪いを生んでいたという上手くいかなさが辛い。

 

そもそも作品と作者は紐付けられるべきなのか?って議論もしたいんですが、本筋からズレるので本記事では省略します。本島はつくることと発表すること(≒世間からどうリアクションされるのか)がかなり密着したアーティストであり、それがこの作品の大前提なので。

 

 

自己解放のために

 

『球体の球体』は新原くんのダンスに始まりダンスで幕を下ろす。初っ端見たときは現代アーティストってダンスも出来なきゃいけないんだ‥大変だな‥と思ったけど、本島は「身体を自由に動かすこととシャボン玉は幼少期から好きだった」らしい。

 

前エントリーにも書きましたが、新原くんは4歳からダンスを始めアミューズに入る前はプロダンサーとして活躍していた経歴があります。上記のダンスシーンは池田さんがハンサムライブで踊る新原くんを見て追加してくれたものでもあります。

 

踊っているときの新原くんは、月並みだけどいつ見ても水を得た魚のように活き活きしている。っていうか、水に放たれた魚が急に滑らかに泳ぎ出すみたいに纏ってる空気が一変する。

熱い演技をしたり楽しく喋ったり真剣に歌ったり、全部素敵だけどそのどれよりも踊ってるとき、熱烈なエネルギーが漲ってるんです。何かが憑依したように、このまま燃え尽きて消えちゃいそうなくらいに、眩しい。こればかりは是非生で体感してほしいとしか言えないのですが‥

 

theatertainment.jp

新原「(中略)作品中や一人で好きに踊っている時間は誰にも邪魔されない時間・空間」

 

なんかそれって、本島も同じなんじゃないかなと思うんですよね。

踊ることそのものじゃなくて、そこに自由を見出していることについて。

 

だって本島の作品って自分に掛けられた呪いを形にしているものだから、それってやってて楽しいこととは、あんま思えないんですよ。それが大きな力を手にした本島が『球体の球体』以降創作してるのか疑問に思った大きな理由なんですけど。

そういう呪いからも全部解放されてこの人が心から楽しいと思える瞬間って多分踊ってる時だけなんだろうな、と未来の本島がおぼつかないステップで踊り続ける姿を見て思いました。終盤の父との楽しかった記憶を語る本島の声が少し上擦る感じ、本島自身がその原体験に気付いているのか無意識に声に表れているのか?どちらとも取れる演技がすごく良くて、気付いてくれてたらいいなって祈りながら見てた。

現代アーティストという役柄でありながら、彼の軸には"踊る自由や楽しさ"があるの、これこそが新原くんが演じるために作られてるんだと1番噛み締めた部分でした。

 

 

あとがき

 

初日公演を観劇した夜、ニュースで総裁選を控えた議員*5が「私は親ガチャという言葉が一番嫌いです」と話していて、それが何かを悲観しているというよりかはまるで今の世の中を嫌悪するような話し方だったことがかなり印象に残っていて。

その根源となる格差がどうして生まれているのかについてこの人は本当に把握してるのかなと思いながら、本島の選択したものについて考える。

 

本島が伝えたかった事って、もしかしたらアートという範疇でやるのが一番良かったのかもしれない。

作品ならこうして批評が出来る。でもそれが政治になってしまったら、独裁国家である央楼なら尚更、それは相互で意見が交わされる事のない一方通行の「システム」だ。そこで"想定すらされていない存在"が、静かに生まれては淘汰されていく。

 

貼り付けたインタビュー内で、新原くんはガチャガチャについてこんなことも話しています。

新原「(中略)ランダム性だったり僕たちには何か操作したくてもできない、でも実はそのガチャガチャの確率だったりを操作してる、作ってる人はいるんです。ヒエラルキーじゃないですけど、弱肉強食みたいな」

 

結局、本島は操作させる側の、肉を食う強い力の方に行ってしまった。なってしまった。

仮にそうなったとして本当に変えるべきだったのは、持って生まれたものを正解と思える社会そのもので岡上の弟のような人を減らしていくことなんだけど、本島に不本意に、それこそ自分で選べずに掛けられた呪いが結果自分と世界の破滅を招いたと思うと、虚しさが胸に込み上げる。何も残らない。でも(踊る)自由はいつ・誰にでもある。そんな余韻を残して物語の幕は下りる。

 

私は今回"創作することそのものの意義や意味について"を1番考えたんだけど、人によって感化される部分に結構振れ幅がある作品だと思うので、いろんな人の感想が読みたいなーと思って久しぶりに文章を書いた。せっかく初主演作品なので、もっと作品の感想やそれこそ劇評がより活発になってほしい!って思いもある。

 

今日のソワレでちょうど半分公演が終わったんですが、日々見てると「ほぼ埋まりつつ気になったら当日凸れるくらい」という感じで、個人的にはとてもいい売れ方だと思ってます。そりゃ即完・満席御礼になるに越したことはないけど、気になった人が駆け込める余白が少しあるとまた新しいお客さんや感想が生まれて、どんどん作品自体が循環していくと思っているので。

平日のチケットは買えるみたい(9月19日ソワレ時点)なので、何かこのブログ読んで作品に興味を持ってくれたら、欲を言えば推しに興味持って覚えてくれたらいいな〜と思ってます。まあ、私みたいに前情報皆無でこのブログ読んだら、困惑が増すと思うけど‥

 

9/29追記・本島への救済

本島に不本意に、それこそ自分で選べずに掛けられた呪いが結果自分と世界の破滅を招いたと思うと、虚しさが胸に込み上げる。何も残らない。

‥そんなことを考えていたんです、残り3公演までは。

 

前述した「最後には前楽に作品全体の印象を左右する一言が足された」で、まさしくこの後味はかなり変わりまして。

球体の球体生まれで本島の遺伝子を持つクニヤスという青年が、既に射殺された本島をホログラムで鑑賞しているところに、"大統領が1度だけやった生身でのパフォーマンスは、クニヤスの存在を認知したから"という事実が告げられるようになったんです、前楽に。

 

個人的には前の記憶失くして最初からこれで見たい!と思うほど好きな締め方でした。心に残るものが全然違うと思います。

ルールを変えても淘汰される命があることは変わりないどうしようもない世界に、本島が遺せた希望、ちょっとだけあったよ。

 

血のつながりに縛られることと自分のルーツが気になることは全然別のことだけど、それでもクニヤスが自分の父親である本島に確かな愛を感じた結末になったの、池田さんが優しいなと思いました。

最後の最後で創造と破壊を繰り返した先の、美しい完成した景色が見えた気がしました。きっとこれでも、池田さんの中でずっと完成はしないんだろうけど。それもそれで素敵な気もします。

 

創造的で実験的で、なにより貪欲な作品でした。新原くんが誇りを持って主演を張れる作品で、良かった。

全18公演、お疲れ様でした!

 

 

あとがき

 

「本島(役)」と「相島(演者)」と「新原(演者)」と「前原(演者)」が、めちゃくちゃ混ざる!!!!!!!!!!!!!

間違えてたらこっそり教えてください。

*1:本人に余程の問題がない限り奨学金を断られるのは、世帯年収奨学金付与の基準より高い場合だそうです。なのでそれなりに所得がある相手と再婚した模様。「別に良いじゃないですか〜」どころではないのだ

*2:作品自体は他にも作ってると思うけど、ここでは反響が大きく劇中で取り上げられていた2作品に絞って話を進めます 他にはどんなもの作ってたんだろう

*3:鑑賞者に作品空間そのものを体感してもらう作品。‥ってことは劇中は写真しか出てこないけど、あれは実際に現場に人を招いて現物を見せてた‥ってコト!?

*4:過去に母が連れて来た知らないおじさん(本島の遺伝子的な父親と推測される)とガチャガチャを引いたことがインスピレーションの元。ちなみに中にはピストルのおもちゃが入っていたそうですが、男性器=父性を象徴するのもなのかなと思いました。筆者の邪推です。

*5:総裁に、なったわね‥